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京都国立博物館 メールマガジン 第8号 2007年12月17日
配信日時:2022/02/14 17:07
京都国立博物館 メールマガジン 第8号[KNM:0008] 

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[ご挨拶]
 今、当館では、明治の初めに御所の中に建設される予定でありながら
それが実現しなかった幻の府立博物館、「京都博物館」の旧蔵品の特集陳
列を開催しています。明治の初めにどのような博物館が構想されていた
のか、非常に興味深い展観です。ぜひ御覧ください。
 また、現在、1月5日から始まる特別展覧会「憧れのヨーロッパ陶磁
竏茶}イセン・セーヴル・ミントンとの出会い竏秩vの準備が着々と進んで
います。担当は特別展覧会「京焼」で、斬新な切り口で京焼研究に新し
い時代を作った尾野さん。今回は、ヨーロッパ陶磁の華、マイセン・
セーヴル・ミントンの名品を充分堪能していただけるとともに、尾野さ
んの新しい研究成果も随所に盛り込み、江戸時代以来、ヨーロッパ陶磁
が日本の文化にどのように受け入られ、どのような影響を与えたのかに
ついても明らかにする、これまでなかった内容のヨーロッパ陶磁の特別
展を企画しています。1月には、新春らしいこの華やかな展覧会をぜひ
御観覧ください。
(Y.N)

[特別展覧会:予告] 憧れのヨーロッパ陶磁
―マイセン・セーヴル・ミントンとの出会い―
平成20年1月5日(土)縲・月9日(日)
特別展示館

 いつの時代も、人は異国に対して一種の畏れを感じる一方で、強い憧
れをもつようです。このところ、高級食器としてのヨーロッパ陶磁が人
気を博し、テーブル・コーディネートで活躍している背景にも、おそら
くある種の「異国趣味(エキゾチシズム)」があるのでしょう。しかし、
日本人とヨーロッパ陶磁との出会いは、そんなにごく最近のことではあ
りません。早くも江戸時代初めから日本人はヨーロッパのやきものを賞
翫してきており、その歴史はすでに四百年近くにも及んでいます。
 江戸時代の日本人に愛されたヨーロッパ陶磁とは、一体どのようなも
のだったのか? そして、日本へもたらされるヨーロッパ陶磁は、明治
維新をはさんで、どのように変貌していったのでしょうか?
 大英帝国がその繁栄を誇ったヴィクトリア女王の時代に活躍した著名
な工芸デザイナー クリストファー・ドレッサーが選び、日本へもたらし
たイギリス陶磁。約百年前にニーダー・シュレジエンのフリッツ・ホッ
ホベルク伯爵から贈られたマイセン・ベルリンなどのドイツ陶磁。それ
らに加えて、オランダ・フランス・デンマーク・ハンガリーなど、ヨー
ロッパ各地の魅力的なやきものおよそ百七十件を紹介します。
 さらに、ヨーロッパ陶磁のデザインの源流となった東洋のやきものや、
逆にヨーロッパの影響を受けて作られた日本の陶磁器を通して、洋の東
西を超えた文化の相互影響をさぐります。江戸から明治時代の日本人が
実際に目にしたヨーロッパ陶磁の数々を通して、彼らが感じたであろう
異国情緒にひたってみませんか。

主な展示作品
・色絵煙草葉文細水指(アルバレロ)オランダもしくはイギリス 昭和
美術館蔵
・白磁金彩花卉文カップ&ソーサー フランス リモージュか 究理堂
文庫蔵
・藍絵西洋風景図輪花皿 イギリス 正伝永源院蔵
・藍絵花盆図洗面具皿 イギリス ダヴェンポート社 中村楼蔵
・多彩釉白泥花唐草文飾壺 イギリス ミントン社 東京国立博物館蔵
・青地色絵飛鳥文皿 イギリス ミントン社 東京国立博物館蔵
・多彩釉唐花唐草文瓶 イギリス ドルトン社(ジョージ・ティンワー
ス作) 京都国立博物館蔵
・瑠璃地金彩窓絵人物図双耳壺 フランス 国立セーヴル磁器製作所 
東京国立博物館蔵
・色絵楽奏猿像〈猿のオーケストラ〉ドイツ 王立マイセン磁器製作所 
京都国立博物館蔵
・色絵薔薇花形カップ ドイツ 王立マイセン磁器製作所 京都国立博
物館蔵
・金彩色絵花卉文花瓶 イギリス ロイヤル・ウースター社 産業技術
総合研究所中部センター蔵
・釉下彩雛罌粟文花瓶 デンマーク ロイヤル・コペンハーゲン磁器製
作所
・産業技術総合研究所中部センター蔵
・釉下彩花卉文花瓶 フランス 国立セーヴル磁器製作所 産業技術総
合研究所中部センター蔵
・多彩釉水注 ハンガリー ジョルナイ工房 京都工芸繊維大学美術工
芸資料館蔵
・エオシン釉花卉文花瓶 ハンガリー ジョルナイ工房 京都工芸繊維
大学美術工芸資料館蔵

携帯版は→http://www.kyohaku.go.jp/i/ctokuten-yo.html


[特集陳列:開催中] 館蔵品のはじまり -京都博物館からの贈りもの-
11月21日(水)縲・2月24日(月・祝)
平常展示館13室

 現在、京都国立博物館に収蔵される12500件にのぼる作品は、館蔵品
と寄託品という大きな二つの柱からなっています。当然のことながら、
どちらも一朝一夕ではなく、長い年月をかけ、次第に充実させてきたも
のです。
ここで、館蔵品の蒐集に目を向けると、その歴史は明治24年(1891)
正月、1076点におよぶ作品が京都府より寄贈されたことにはじまります。
これらは、明治八年に京都府勧業課に設置され、わずか九年で廃止され
た「京都博物館」の旧蔵品です。同館は当初、御所のなかに建設される
予定でしたが、ついに実際の建築には至らなかった、いわば幻の博物館
です。つまり、館蔵品蒐集の記念すべき第一歩は、いまから百年以上も
前、幻の博物館からの寄贈品にはじまったのです。
残念ながら、これらの作品は普段、展示室でお目にかかるような一級
品ばかりではありません。とはいえ、なかには旧公家や寺社から流出し
たとおぼしき古文書や写本、博物館で作成した模写本などが多く含まれ
ており、「京都博物館」の作品蒐集のあり方、事業内容を知ることのでき
る超一級の資料であると考えられます。
この特集陳列では、「京都博物館」の旧蔵品のうち、とくに書跡関係の
作品を中心にして、幻の博物館の実像に迫るとともに、京都国立博物館
の奥深さを体感していただきたく思います。

主な展示作品
京都博物館蔵品目録
画像は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/img/kanzou/k2.jpg

聚楽行幸和歌巻 烏丸光広筆
画像は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/img/kanzou/k3.jpg

・重文 明月記 建久十年春記
・和漢朗詠集 弘安三年九月書写
・重文 園太暦 洞院公賢自筆本
・後醍醐天皇宸翰消息 (大阪青山短期大学蔵)
・建武・貞和・貞治文書 南北朝
・大嘗会仮名記〈写本〉
・新古今和歌集 飛鳥井雅縁・忠雅僧正書写
・搨鴫暁筆抄
・文明・明応・文亀宣旨
・口宣・宣旨 各二通
・職原抄注〈写本〉
・河海抄〈写本〉
・保元物語〈写本〉
・伊達政宗消息 江戸
・医学天正記〈写本〉
・伊勢物語〈写本〉
・明月記〈写本〉
・園太暦〈写本〉
・狭衣物語〈写本〉
・岷江入楚〈写本〉
・雑図
・安斎随筆〈写本〉
・天平年間三綱牒写
・正倉院所伝道鏡法師書写
・小林良典和歌懐紙
・手鑑「翰墨場」
・旧院御所並博物館建築図のうち
・仙洞旧院博物館地実測図 明治
・京都博物館建築図面のうち博物館新造内景尺度 ヘールツ製作
・京都博物館建築図面のうち立面・平面図
・尾形光琳印譜
・嵯峨天皇宸翰李きょう雑詠写
・伝教大師度牒・戒牒写
・古文書写

展覧会詳細は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/kanzou/kanzou.html
携帯版は→http://www.kyohaku.go.jp/i/ctokutin-kan.html



[新春特集陳列:予告] 社寺伝来の名刀
平成20年1月2日(水)縲・月11日(月・祝)
平常展示館16・17室

 何かの祈願のため、神や仏に刀剣を奉納することは、古代まで遡るこ
とのできる風習です。それは、刀剣そのものに魂が宿るという観念や、
不動明王など密教仏の象徴が剣であるといった考え、神が用いる道具を
宝物として奉献した古神宝など、さまざまな宗教的意味合いが込められ
ています。
 京都にある社寺にも、少なからざる刀剣が奉納され、今に伝わってい
ます。この度の特集陳列では、京都とその周辺の有名社寺に伝来した刀
剣の中から、名刀と呼ぶべき品々を紹介します。なかで最も古いものは、
平安時代前期まで遡る黒漆大刀(重文、鞍馬寺蔵)で、
坂上田村麿の佩刀と伝えます。そ
のほか、鎌倉時代、源氏ゆかりの太刀(重文、大覚寺蔵)や、足利将軍
家・豊後大友家などを転々とした刀(重文、豊国神社蔵)、織田信長が桶
狭間合戦で今川義元から分どったという刀(重文、建勲神社蔵)、豊臣秀
吉奉納と伝え「笹丸」と号する革包太刀(重文、愛宕神社蔵)、奈良県談
山神社に伝わる金色の太刀(談山神社蔵)、江戸幕府によって京都祇園社
の三柱の祭神に奉納された太刀と宝剣(太刀は重文、八坂神社蔵)など、
見ごたえ十分です。また京都・若王子神社、奈良・春日大社、愛知・猿
投神社などにかつて伝来し、今は個人の所蔵になるものもあわせて展示
します。これらの品々より、社寺と刀剣のつながりの奥深さに目を見張
られることと思います。ご期待ください。

主な展示作品
[平安時代]
◎黒漆大刀(鞍馬寺)
[鎌倉時代]
◎太刀 □忠(大覚寺)
太刀 来国俊 附沃懸地菊紋蒔絵毛抜形太刀拵(仁和寺)
◎太刀 大和則長 附金梨地菊桐紋蒔絵糸巻太刀拵(泉涌寺)
◎薙刀直し刀 伝吉光 名物骨喰藤四郎(豊国神社)
◎太刀 豊後国行平(八坂神社)
短刀 伝天国 号瀬登剣 京都・熊野若王子神社伝来
[南北朝時代]
◎刀 義元左文字(建勲神社)
◎革包太刀 号笹丸(愛宕神社)
[室町時代]
毛抜形黒漆太刀(御香宮)
金箔押革包太刀(談山神社)
黒漆太刀 中身長船則光 奈良・春日大社伝来
黒漆塗毛抜形太刀・黒漆太刀 愛知・猿投神社伝来
短刀 長船祐定(貴船神社)
三鈷柄剣(高山寺)
[桃山時代]
◎倶利迦羅竜蒔絵合口剣 中身 尚宗(妙心寺)
○太刀 平安城住国路(御霊神社)
○太刀 藤原国広 附金梨地鳩紋蒔絵糸巻太刀拵(幡枝八幡宮)
[江戸時代]
◎金梨地木瓜紋蒔絵糸巻太刀 中身 出羽大掾藤原国路 金具御大工躰阿
弥
錦包玉纒剣・黒漆木瓜紋螺鈿剣・金梨地木瓜紋蒔絵剣 中身 出羽大掾藤
原国路 金具御大工躰阿弥(以上八坂神社)
薙刀 肥前忠吉(仁和寺)
刀 相模守源来義道(許波多神社)
太刀 信高 信照(建勲神社)

展覧会詳細は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/denrai/denrai.html
携帯版は→http://www.kyohaku.go.jp/i/ctokutin-mt2008.html.html



[新春特集陳列:予告] 仏師 清水隆慶―老いらくのてんごう―
平成20年1月2日(水)縲・月30日(日)
平常展示館5・6室

 みなさんは仏師というと、どの時代の誰を思い浮かべますか。多くの
人は飛鳥時代の止利仏師、平安時代の定朝、鎌倉時代の運慶や快慶と
いったところを、まずは最初に思い浮かべるのではないでしょうか。そ
れは、仏像を専門とする研究者にしても同様で、近世の仏師については、
これまであまり研究が行なわれてきませんでした。ところが近年になっ
て、江戸時代の仏師や彼らが製作した仏像などにも次第に注目が集まっ
てきています。
 今回特集する清水隆慶も、江戸時代に京都で活躍した仏師で、四代ま
で続きました。今回はそのうち、麟岡と名乗った初代(一六
五九縲怦齊オ三二)と、毘首門亭を名乗った二代(一七
二九縲恚繻ワ)の作品を展示します。といっても仏像ではなく、仏師の余
技ともいうべき風俗人形の類が中心です。初代隆慶自身は、これらを「老
いらくのてんごう(老人のいたずら)」と称しました。仏像造りに使う技
能を世俗的なものに使ってしまった、という照れからでしょうか。しか
し、さまざまな造形上の約束事がある仏像にくらべると、これら人形類
は、自由な発想でのびのびと製作され、巧みな彫技が遺憾なく発揮され
ています。江戸時代の京仏師のてんごうぶりを、じっくりとご覧ください。

主な展示作品
[江戸時代]
初代清水隆慶位牌
二代清水隆慶位牌
百人一衆
関羽立像
竹翁坐像
文殊坐像
大黒天立像
髑髏
富士見西行像
千利休立像
展覧会詳細は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/ryukei/ryukei.html
携帯版は→http://www.kyohaku.go.jp/i/ctokutin-oi.html



[博物館Dictionary] No.154 
あなたに語る・時代を超えて生きる心

おひめさまの正装

 「十二単(じゅうにひとえ)」という言葉、聞いたことありませんか?
言葉は知らなくても、百人一首の絵札に描かれた、髪の長い日
本のおひめさまが着ている衣裳、といえば頭に浮かぶかもしれません。
それに、今年は女優さんが結婚式で着用して話題になっていましたから、
新聞やテレビで見たという人もいるかもしれませんね。十二単とは、平
安時代に完成した公家女性の正装、つまり日本のお姫さまが、結
婚式や大切な儀式に着用する衣裳です。

画像は→
http://www.kyohaku.go.jp/jp/tenji/chinretsu/mmd/mmd154-1.html

ところで、この十二単、日本の伝統的な衣服なのに、七五三で着たきも
のや街で目にする現代のきものとは、かなり違うと思いませんか?その
違いについて今回は考えてみたいと思います。
まず気がつくのは、とにかく重ね着をしている点です。襟元
と袖口を見てください。まるでバウムクーヘンのように層に
なっているのが分かります。そして、きものの裾(すそ)を引きずって
いる点。これでは外を歩いたら、すぐに汚れてしまうことでしょう。そ
れから、写真では見えにくいのですが、重ね着したきものの下に、裾を
引きずる長袴(ながばかま)をはいている点。どんな袴かというと、そ
うですね、遠山の金さんがはいているような袴、といえば分かってもら
えるでしょうか。さらに、もうひとつ。これはきものを良く知っていな
いと気がつきにくいのですが、袖口が上から下まで開いた広袖(ひろそ
で)(大袖(おおそで)とも言います)になっている点です。現代のき
ものは、袖口が腕の出る部分だけ開いていますよね。これは、広袖に対
して小袖(こそで)と呼ばれています。
そもそも、十二単の「単(ひとえ)」とは、裏地の付いていないきもの
を言います(ちなみに、裏地のついているきものは「袷(あわせ)」)。
ですから、十二単とは本来、裏地のない一枚仕立ての単のうえに、裏地
のついた袷を十二枚重ねた衣服、という意味なのです。現代では、十二
枚も重ねることはなく、五枚重ねが普通ですが、たくさん重ね着をして
いることもあって、この十二単というニックネームが定着しています。
正式には「五衣唐衣裳装束(いつつぎぬからぎぬもしょうぞく)」と言
うそうです。
それでは、この十二単の重ね着の様子を見ていきましょう。まず、下着
として「小袖」を身につけ、「長袴」をはきます。次は「単」。裏地の
ない一枚仕立てです。この単が一番大きく作られており、順々に小さく
仕立てていくことによって、色の重なりがきれいに見えるように配慮さ
れているのです。続いて裏地のついた袷仕立ての袿(うちき)を五枚(「五
衣(いつつぎぬ)」)。それから光沢のある生地で袷仕立てにした「打
衣(うちぎぬ)」を一枚重ねます。さらにその上に、文様を織り出した
「表着(うわぎ)」を着て、仕上げに、上半身には袖丈も着丈も短い「唐
衣(からぎぬ)」を、下半身には長く引きずる「裳(も)」を着けて・・・
ようやく完成です!
この壮大な衣裳は、重ね着によって生み出される色の層の美しさが見ど
ころでした。そして、この色の重なりに応じて、「桜」「杜若た
」「萩」「紅葉」といった四季折々の自然にちなんだ雅やかな
名前が付けられた
のです。これを「襲色目(かさねのいろめ)」と言います。当然、「桜」
は春、「萩」は秋と、名前に応じた季節にのみ着るものであり、季節は
ずれの襲色目を身につけるなど、おしゃれなお姫さまにはありえないこ
とでした。
このように、現代のきものとは、まったく違う衣服に見える十二単です
が、実はきものも十二単と無縁ではないのです。気がつきましたか?十
二単の一番下に着用していた「小袖」。時代が移り変わるにつれ、長い
袖の袿や裾を引きずる長袴は脱ぎ捨てられ、一番下に着ていた小袖だけ
が着用されるようになりました。そこから発展したのが、現代のきもの。
洋服を着慣れた私たちには、きものでさえ窮屈に感じられ
ます。優雅に見えるお姫さまのご苦労がしのばれますね。
(工芸室 山川 曉)



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